オオ、ジュニア!

~ありふれた少女の非凡な一日~

世界の終わり

昨晩パンを焼いてみたら、思いの外簡単に作る事が出来て驚いてる。
いやしかし……ううむ、何と言うのかな。ほとんどイースト菌先生の御力といっても過言ではない気がする。
……うむ!やはり思い返してみるとほとんど放置していただけじゃないか!
これは料理なのか!?これでいいのか!?パンよ!!
 
 
お菓子を作ったり自炊するだけで「女子力が高い」なんて称される事がある。
お菓子を女性にあげたりすると「食べ物で釣っている」なんて目で見られる事もある。
そんな事がある度に「なんとも頭の悪い発想だな」なんて思う。
こんなのは生活力・家事能力であって、慣れさえすれば誰でも極当たり前に出来る事のはずだ。これは専業主婦なんて人が当たり前にいることからも自明であろう。
そんな当たり前に出来る行為だと知らないから、このような発想に陥ってしまうのだ。
そもそも男性に対して「女子力が高い」と"褒める"のは可笑しいとは思わないのだろうか。
 
結局のところ僕は何を求めてお菓子作ったり珈琲淹れたりしているのだろうか。
「レシピの手順の通り調理したら本当に目的とする料理が出来上がるのだろうか」という疑問に対して、実際に実験して確かめたいだけなのだ。
美味しいと感じたモノがどうやって作られているのか興味があるだけなのだ。
だから自分が求める結果を得られるまでトライアル・アンド・エラーを繰り返す。
それは真新しい実験などではなく一度誰かが通った道をなぞっているだけなので、全然称賛に値するモノなどではない。
 
僕は誉れ高き女子力が高い人ではない。
ただの"りかけいのおとこ"なのである。
 
しかも厄介なのが実験する事自体が目的となっているので、作ったモノを消費する事に対してはとんと無頓着な点である。
"誰かに食べて頂く"という料理にあるべき前提が無いのである。
料理が出来上がってから処分に頭を悩ませる事が多々あり、大体いつも知り合いを餌付けしている。
そこで辛辣な指摘を頂けるならばフィードバック出来るのだが「美味しい」などという月並みな言葉しか聞くことがない。
もっと自分の舌に正直に言ってくれた方が嬉しいのだが……。
嗚呼、敗北を知りたい。
 
「汝の人格ならびに他のすべての人の人格における人間性を常に同時に目的として使用し、けっして手段としないように行為せよ」
かの有名な哲学者イマヌエル・カントの言葉である。
僕はこの言葉が大好きだ。そう思うと同時にとてもむつかしいとも感じる。
願わくば僕の人間性が誰かの目的となって使用されている事を願う。
 
 
追伸。
ぶっちゃけ僕はあまりパンが好きではない。