オオ、ジュニア!

~ありふれた少女の非凡な一日~

なにもしない

 最近ボサノヴァとかいう音楽にハマっている。

以前バイトしていたカフェを思い出してとても落ち着くのだ。

あの自堕落な日々が今となっては懐かしい。


Stan Getz & João Gilberto "The Girl From Ipanema" (1964)

 

 

大学生になって一人暮らしを始めてから、客人に対して「自由に過ごす」というルールを定めている。(あくまで不文律であり、僕の中で掲げているだけだが。)

それに馴染んで初めて友人から家族というカテゴライズに変わる。

お互いに最低限の心遣いをしているが、気遣いらしい気遣いはしない関係。

空回りがちの気遣いをしてしまう僕としては、そのような関係は甘えの表れでありとても心地よい。

友人関係における家族というカテゴリはそんな関係である。

逆に現実の家族関係は、正直苦手だ。

 とても大切に扱われるとなんだか居心地が悪くなってしまうのだ。

 

僕は「僕が居なくても良いコミュニティ」を眺めるのが好きだ。

僕のような空回りの気ぃ遣ぃは居ないに越したコトはないのだ。
リビングから楽しげな雰囲気を感じながら、一人キッチンの換気扇の下で煙草を吹かすような幸福感。
その度に確かめる。
やはり僕は居なくて良いのだ。その方が僕も気楽で、きっと幸福なのだ。
 
 
当たり前の幸せが欲しい。
朝食後の珈琲を淹れる。
ガランとした映画館に入る。
喫茶店で他愛もない話をする。
日向ぼっこをしながら眠る。
夕食を作って一緒に食べる。
手を繋いで夜の公園を散歩する。
二人で眠る。
そんな、当たり前の幸せが欲しい。