オオ、ジュニア!

~ありふれた少女の非凡な一日~

愛とはなんぞや。

ブログの名称を変えてみた。元ネタは小説の中の写真集の名称。

「ゲスブログ」という名称を思いついた時は自身の才能に震えたが、検索してみると思いの他多くの方が思いついていたようだ。

深夜のテンションだったとはいえ、あの夜の大爆笑を返して欲しい。

 

 

感情というものは絶対的であり相対的たり得ないというのが持論。

私のほうが辛い、俺のほうが好き、なんて議論は不毛なのである。

「お前は気楽そうでいいよなぁ…(俺はこんなにも辛いのに。)」という小言や、

「好きだ!」「私の方が好きよ!」「俺はその10倍好きさ!」というコントはちゃんちゃらおかしいのである。(特に後者は色んな意味で。)

この持論を支える証明のようなモノは残念ながら、無い。

まぁ別に良いではないか。そう目くじらを立てないで欲しい。

そもそもこのブログは僕が文章を書く練習も兼ねているのだから気楽に読んで欲しい。

 

さて僕のこの持論が正しいと仮定しよう。

困ったことにこの考えだと「AさんよりBさんの方が好き」というのも存在し得ない。反面、現実では上のような発言に違和感を感じない。

せめてこれぐらいは説明しないと、最初から礎が崩れかかっている僕の持論は塵となってしまう。

……カテゴリに相対評価を用いている、というのはどうだろうか。

例えばAさんは「親友」にBさんは「知り合い」にカテゴライズし、カテゴリ自体を相対評価してA>Bのように序列を与えているのではないだろうか。

ふむ。なんとなくそれっぽい気がする。

……いやいや、待て待て。しかしそのカテゴリをどう選好するというのだ。

評価基準に感情を用いてしまった瞬間にそれは相対的なものになってしまう。

「親友」ならば「親友∧知り合い」のように加点方式の如く序列を作れば……。

 ううむ、こんがらがってきた。できれば聡明な方に是非ご教授願いたいものだ。だがそもそもこの話に答えなんてあるのだろうか。

……というか結局僕は何が言いたかったのだ!?(昨日振り2回目)

 

 

「彼女のどんなところが好きなの?」という質問をされる時がある。

……答えに詰まる。

なんだか答えるのが小っ恥ずかしいというのも理由の一つ。

もう一つは、これに答える事でカテゴリや条件への嗜好が先行してしまい、その人自身への感情が朧気になってしまう気がしてしまうから。

まるでその条件がなくなった時に好きではなくなってしまうのではないかという脅迫観念にも似たものである。

(……そもそもこのような「条件付きの好き」は嗜好や価値基準の話であって感情の話ではないように感じるが。)

だから僕はいつもはぐらかしている。それが正解かどうかは知らないけれど。

自分を守る為にはこのようにするしか無いのだ。

 

 

ところで上の質問者はどのような答えを聞きたいのだろうか。

もしも後者の話であれば「なんとなく」「好きだから」としか答えられない。これでは満足しないだろう。

ふむ、という事は前者の話か。しかし僕の嗜好なんて聞いてどうするつもりだろうか。

……待てよ……もしかして……ナンパなのか!?

なるほど。知らず知らずのうちに僕はモテていたのか……。

というワケで自分が得をする結論を得たので終いにしようと思う。

 

我ながらよくわからないブログになってしまった。どうしたものか。