冬のミルクは純粋すぎるから
"お見送り"は見送る側の名残惜しさから行われる行為だし、"お出迎え"は早く会いたい気持ちがその人の足を運ばせる。そんな当たり前のことを思い出して、ついさっきまで忘れてしまっていたことに驚いている。
無題
こんなにも何も無くて惨めで阿呆で醜いのに、あの日に死に切れなかったという事実が僕を醜悪にしてしまっている。
「神は自ら助くる者を助く」けれど、僕は自ら助く方法を知らない。
こうすれば楽になれると知っているのに、矛盾することばかり浮かんでくる。
何も無い自分を愛せないし、阿呆な自分に泣いてしまうし、醜い自分が嫌になる。
「どうすれば良いのか」と困ってばかりで、困る。
僕はこれからどうすれば助かるのだろうか。
困った。
理由なんか無いさ、おまえが欲しい
四通程返信していない手紙が溜まっているが、ついにぼちぼち書けそうな気がしている。
さて、何を書こうか。
好奇心と恐怖は隣接している。
日が当たれば、影が違う、色が違う、光が変わる
今朝、鏡の前で紙を乾かしていると限りなく白髪っぽい毛が一本あったので、「どうせ光の反射でそう見えるだけだろう」と高をくくりながら抜いてみると、本当に白髪でした。紛うことなき白髪。ザ・白髪。
人生初白髪は、白髪独特の(特に黒髪と白髪のグラデーションのものによく見られる)"野生動物の毛っぽいもの"ではなく、ヘナヘナの糸くずのような白髪でした。
如何にも僕らしい。
最近、意味も無く"書きた欲"が煽られることが多い。
日本語って綺麗だなあと感心するばかりであるが、中でも形式からして完成されている四字熟語は頭一つ抜けて佳い。言うなればエリート集団である。
例えば『軽佻浮薄』『隔靴搔痒』『無知蒙昧』などはバランス・語感共に、惚れ惚れする程に素晴らしい。
『天衣無縫』の怒涛の追い上げ感は書いていて爽快感を覚えるし、『洒洒落落』の並列感は美しいとすら思う。
ちなみに私感ではあるが、語感にのみ限って言うならば『マントヒヒ』こそが最強の単語だと確信している。
どうでも良い。
この歳になって、ようやく本を読むようになった。
前述の"漢字書きた欲"の原因はこれだろう。
本を読むようになってから今まで以上に一人遊びが上手になってしまい、自室で過ごす時間が増えた。
外だと溢れる雑音が(酷い時はイヤフォンから流れる音楽ですら)煩わしく感じるので、どうしても自室こそが快適な空間になってしまう。
願わくば書を捨てて街に出たいのだが、その前に積んでる本を読みたいし寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』と『少女詩集』も読みたい。
参った。
本を読むようになってから、なにやら「巧く回している」という予感があった。
しかし、それはただの錯覚でやっている事の本質は変わっていない事に気付いてしまって、とても悲しい。
解消可能な問題(のはず)なので、まあ、良いのだけれど。
少しずつでも巧く回しましょう。
僕の近傍で山口百恵が流行っている。
ちゃんと聴いてみると、なるほど格好良い。
なんとなく可愛いイメージがあったのだけれど、松田聖子と混じっていたみたいです。
……松田聖子も聴かないとなあ。
ん?義務感?なんで?
行かないで、行かないでよ、記憶の向こうへ
今日は予期せぬ事で記憶のトリガーが引かれて、参った。
こういう時に寄り掛かる相手が見当たらないのが、一層つらみを増している。
「助けて」なんて言おうと思えば言えるのだけれど、「なにを、どう、助けて欲しいのか」を思索すると、自ずと何も言えなくなる。
僕の内心の問題だし、言ったところで傷の舐め合いにしかならない。
そういう相手が"居ない"のではなく、ただ単に僕が掲げた規律に則ると"作り得ない"。そしてそれが更につらみを増す。
概ね不器用。
というわけで、気晴らしに勝手に動画を紹介することにする。
まずはこれ。
ミニクーパーのCMなのだけれど、序盤の雰囲気と中盤からの盛り上がりがとても佳い。
BMW以前のミニクーパーの方がデザイン的に好みなのだけれど、こんなCM見てしまったら、もう、ね。
"who would ever be normal?"という言葉自体、英語が不得手な僕にとっては超クール。
素晴らしい。
お次はこれ。
Falconという万年筆だがこれは輸出仕様のもので、国内流通しているものだとELABOという万年筆らしい。
パイロット万年筆 エラボー ブラック 細字軟(SF) FE-25SR-BSF
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二万円という手が届きそうな値段が、もう、憎い。
使い熟せるか否かは置いておいて、是非欲しい。
だってこんな字で手紙などが届いた日には、惚れること請け合いでしょう。
僕なら便箋の宛名を見た時点で、惚れる。
書いている文字もさることながら、音も大変格好良い。
併せて知ったのだが、カリグラフィー(西洋書道)というものもあって非常に興味深い。
最後はこれとこれ。
ストップモーションとかいうオシャレ動画。
後者の方が圧倒的な完成度を誇っているものの(定点カメラの時点でやり易い)、前者の方が"らしさ"を活かせていると思う。
壁抜けとか、場面転換とか、滑り移動とか、見てて飽きない。
なんだか偉そぶった物言いに聞こえるけれど、一度御座なりなモノを撮った事もあるので凄さは身に沁みて分かっている。
あと曲も佳い。
今日は何時にも増して概ね煩雑であった。
まあいいか。
君の優しさに埋もれていた僕は
言うつらみと言わないつらみの板挟みになることが多くて、結果として寡黙になりつつある。
思慮深くなったとも言えなくはないけれど、言えないだけなのできっと違うのだろう。
僕はいま"泣いてみたい欲求"に蝕まれている。
つい先日には、ほんのあともう少しで泣けそうな心持ちだったのだが、どうやら掴み損ねたようなので、尚更だ。
誰かに泣かせてもらえると尚佳いのだけれど、たぶん絶対に無理だという確信めいたものがあって、ほんのり辛い。
そもそも「泣くという動作は(効果的な演出ではあるけれど)概ね合理的じゃない」とか、「(そうとは限らないのに)泣いても何の解決にもならない」とか考えている辺り、もう、駄目だ。泣けるはずが無い。
さらに誰かに泣かされるなんてのは以ての外で、自分の外部に依って揺さぶられるなんてことは、尚の事無いのであろう。
ふと冷静に立ち返って考えてみると、僕は所謂”彼女”という存在に自分の重心を移譲してしまっていたように感じる。
特別な存在なのだからそうしなければいけない、といったような義務感に追われていたのかもしれない。
少なくとも、当時の心持ちに関してはいまの僕には何故かもう分からない。参った。
まあ、どうでもいいか。
ところで数日前に知人から「先生みたい」と称され、甚く(もはや既知の感覚で)納得してしまった。
同時に、他の方からは「冷たい」などと形容されることもしばしばあって、今までとは逆の形容詞なので、非常に興味深い。
最近の僕は内部と外部を明確に分けているように感じる。
これは「外部に対する異質感がある」と言うのがしっくりくるかもしれないし、「どうしようもない距離を持つことができた」とも言える。
正しい人との接し方を忘れてしまっただけなのかもしれない。(そもそもそこに正誤があるのかも疑問だけれど。)
兎に角、疲れないし悪くない距離感なので、僕は吝かではない。
メモ以外で文章を書くのが久しいので、どうにも草臥れた。
少しずつ是正していきましょう。
サンデーズのSマークが目印さ
IPA(インディア・ペール・エール)という麦酒を知ってからというものの、僕の麦酒欲求が頭を擡げている。
とても佳いビールなので、所謂普通のビールに飽きてしまった方は、是非。
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急な夕立に見舞われて、雨宿りなどをしたい。
そういえば、北の気候では夕立というものに中々お目にかかれないようだ。
もうかれこれ六年程こちらに住んでいるのだが、たった一度きりしか夕立に降られたことがない。
あれは確か、後ろに人を乗せて走った極短い距離のツーリングの際の出来事で、二人できゃあきゃあ叫びながら少しだけ雨宿りした記憶がある。
その時の光景が今更になって目に焼き付いて、僕を離さない。
この感覚はきっと懐古と呼ばれるもので、つまり「もうあのような夕立の楽しみ方は出来ない」という確信に依るものだ。
反面、今ではあの時と違った楽しみ方が出来るはずなのだから、悪い気はしない。
ああ、夕立が待ち遠しい。
僕は究極的に親和性なんてものを持ち合わせていない。
合わせるなんて芸達者なことは出来ないし、合わさるなんて奇跡は滅多に起きない。
一応空気は読むけれど、自身の好奇心の為ならばそれを壊すことも厭わない。
気になったことは訊くし、興味のないことは聞けない。
興味のレンジをなるべく広く持つことで、どうにか綱渡りをしているつもりだけれど、知らない内に転げ落ちているのかもしれない。
特に最近では、他人のことを"歩く本"と捉えてしまっている節がある。
「教本・小説・詩集etc.……ありとあらゆるジャンルを詰め込んだ一冊」と言えば聞こえは良いかもしれないが、このままでは僕はどこまでいっても読み手にしかなれない。
この甘えた立場は今まで僕に与えてくれた方々に失礼なので、改めなければならないものなのだろう。
僕は先輩面するに値する先輩になれるのだろうか……あまり自信が無い。
美味いビールは大抵アルコール度数が高くて参っている。
体感ではそれほどでもないのだけれど、いざ飲んでみると直ぐに火照って、てろんてろんになってしまう。
どれもこれも美味しいんだけれどなあ。